不可触民 〔独立・インド・旅行〕
インドの被差別民諸集団の総称。
英語のアンタッチャブルの訳語であるが、今日ではその使用を避けて、指定カーストという呼称が多く用いられている。
サンスクリット語ではアスプリシュヤという。
これは可触民という語に否定辞アがついたもので、文字どおり触ってはならない者という意味である。
アスプリシュヤという社会階層概念は紀元前後に成立した『マヌ法典』にはみられず、それより少し後の『ビシュヌ法典』に初めて現れる。
紀元後400~600年の成立とされる『カーティヤーヤナ法典』には、アスプリシュヤに関するより詳細な規定がみられるから、このころには、被差別諸集団を一括して不可触民とする考え方が定着してきたのであろう。
しかし、不可触民という社会階層が本格的に形成されたのは7、8世紀のインド中世社会形成期以降であると考えられる。
この時代、定着農耕社会が拡大し、村落共同体が形成され始め、それに伴って、多くの山間部族民が村落に吸収され、死獣の皮剥ぎ、皮革細工、村域の清掃などに従事するようになっていった。
この過程で同時に形成されたカースト制度において、彼らの多くは不可触民とされたと考えられる。
不可触民カーストとしてよく知られたものには、北インドのチャマール、デカン高原のマハール、南インドのパライヤンなどがある。
不可触制はイギリス植民地支配下にも本質的には変わることなく続いたが、20世紀になると、不可触民自身の解放運動が始まった。
それを代表するのはマハールのB・R・アンベードカルで、インド独立に際しては憲法起草委員会委員長に就任し、憲法に不可触制廃絶を明記させた。
しかし、なおも続く差別に抗議して、1956年、その死の年には、数十万人のマハールたちとともに仏教に改宗した。
彼らはいま、新仏教徒とよばれている。
英語のアンタッチャブルの訳語であるが、今日ではその使用を避けて、指定カーストという呼称が多く用いられている。
サンスクリット語ではアスプリシュヤという。
これは可触民という語に否定辞アがついたもので、文字どおり触ってはならない者という意味である。
アスプリシュヤという社会階層概念は紀元前後に成立した『マヌ法典』にはみられず、それより少し後の『ビシュヌ法典』に初めて現れる。
紀元後400~600年の成立とされる『カーティヤーヤナ法典』には、アスプリシュヤに関するより詳細な規定がみられるから、このころには、被差別諸集団を一括して不可触民とする考え方が定着してきたのであろう。
しかし、不可触民という社会階層が本格的に形成されたのは7、8世紀のインド中世社会形成期以降であると考えられる。
この時代、定着農耕社会が拡大し、村落共同体が形成され始め、それに伴って、多くの山間部族民が村落に吸収され、死獣の皮剥ぎ、皮革細工、村域の清掃などに従事するようになっていった。
この過程で同時に形成されたカースト制度において、彼らの多くは不可触民とされたと考えられる。
不可触民カーストとしてよく知られたものには、北インドのチャマール、デカン高原のマハール、南インドのパライヤンなどがある。
不可触制はイギリス植民地支配下にも本質的には変わることなく続いたが、20世紀になると、不可触民自身の解放運動が始まった。
それを代表するのはマハールのB・R・アンベードカルで、インド独立に際しては憲法起草委員会委員長に就任し、憲法に不可触制廃絶を明記させた。
しかし、なおも続く差別に抗議して、1956年、その死の年には、数十万人のマハールたちとともに仏教に改宗した。
彼らはいま、新仏教徒とよばれている。
update:2010年02月24日
